その日、自分は一人新宿御苑の脇道をぶらぶらと歩いていました。
2018年の3月の終わり頃、季節はちょうど桜の満開を迎える頃で、新宿御苑などという花見客を受け入れる気満々の施設はその偏見の通り、人でごった返していたのを覚えています。
そのときなぜ、ひとりでそんなところを歩いていたのか。その理由について詳しいことはもはや覚えていません。
当時は、就活留年までしてやっとのこと見つけた仕事の準備で手一杯のときでした。
おおかた、4月から始まる仕事のことを考えて気もそぞろになっていたとか、一人暮らしの新居に越してきたばかりで地に足がついていなかったとかそんな理由だったのでしょう。
あるいは、春先によくある感傷的な気分にただ浸っていただけかもしれません。
とにかく、bye bye my heroという曲の歌詞は、そんなときにふっと思いついたものでした。
歌詞の中身についてはなにも具体的に言及したくないというのが正直なところです。
生意気かもしれませんが、そのときの感情はすべて歌詞に書ききったと思っています。
それ以上のことを余計な言葉で語るべきではないと考えています。
だからここでは、この曲を久しぶりに聴いた結果、いま自分が考えたことをつらつらと述べておこうと思います。
曲に関連するといえばするし、あまり関係ないかもしれないようなことです。
だれもが、「何かが終わってしまうこと」に対する喪失感や空虚感のようなものを覚えるときがあると思います。
自分はその「何かが終わってしまうこと」に対して、おそらく人一倍臆病な性格です(このことに対して人と真剣に話したことがないので、人一倍というのは憶測でしかありませんが……)。
例えば夢中になって読んでいた小説や映画を見終えると心にぽっかり穴が空いたようになって一日中何にも手がつかなくなったりします。
季節の移り変わりに対しても、別にそこに紐づく大きな出来事があるわけではなくても、どことなく寂しさを感じて立ち往生してしまいます。
そういう、過ぎ去っていくものへの感傷みたいなものが、厄介なことに今までずっとつきまとっている気がします。
そして、春先というのは、その「何かが終わり、何かが始まっていく感じ」というのが残酷なまでに強調される季節だなと思います。
それはシンプルに季節の変化によるものでもあると思いますし、始まりと終わりに関する社会的な儀式のようなものがたくさん集まっている時期だから、というのもあると思います。
今まで自分は、社会的なお約束としての儀式(卒業式とか成人式とか)を拒んで生きてきましたが、それは単純にマイノリティでいたいという自分のひねくれた性格と、人混みに行くのが嫌だというわがままから来ているものだと思っていました。
でも今考えると、自分はそういった儀式の中で「今までの自分を終えて、新しく始めなければいけない」という事実を突きつけられることから逃げていたのかもしれないなと思います。
それが自分の根底に染み込んだ習性なら、正直厄介だなあと思います。
でも一方で、そういう性格だからこそ見える季節の美しさのようなものもあると思います。
新宿御苑の脇を歩いていたときの自分も、そういう感覚だったのかもしれません。