Lupeのこれまで

Piano 松田のこれまではこちら
Drums 髙森のこれまではこちら


はじめに

Lupeが活動を始めたのが、2017年の11月。

そこから数えると、もう3年半活動を続けていることになります。

そのあいだ、なにができたかといえば、そんな大それたことはできていないような気がします。

充実した最高の3年半だったかと言われれば、そんなことはないような気がします。

 

ですが、今回Lupeのことを発信していく機会ができ、それに際して自分たちの今までを振り返ってみれば、それはそれで色んなことがあったなあと感じます。

そして、それを開示することでLupeやLupeの音楽に興味を持ってくれるひとがいるなら嬉しいなとも思います。

 

今回は、Lupeというバンドが誕生してから、これまでどんな歩みをしてきたかを書かせてもらいます。

あくまで筆者である松田目線なので、Lupeの総意ではない個人的な感想が多く挟まっています。

そういう前提でご覧ください。

 

きっかけのきっかけ

Lupe誕生のきっかけは本当に何でもないようなことです。

同じ大学に通う同じ専攻のふたりが、たまたまちょうどいいタイミングで、今やっていること以外のことをやりたいと思っていたというだけ。

 

きっかけを切り出したのは自分でした。

今でも淡く覚えていますが、大学の図書館にいた高森に声をかけ、面白そうなサークルを紹介してもらえないか相談しました。

そこから、自分が高森がいるギターサークルに入ったこと、それが縁で少しずつ仲良くなり始めた流れで、お互いピアノとドラムができるということでセッションしようという話になったのでした。

 

ちなみに初めはお遊び程度でスタジオに入っていただけです。

正直自分はそれまでスタジオに入ったこともなかったし、ドラムの音を生でちゃんと聴いたこともなかったので、初めての体験ばかりで最初の頃はビビりまくってました。

「ドラムの音って腹に来るなー。正直うるさい……。」

みたいなことすら感じていたと記憶しています。

それでも何回かセッションしたり、高森が当時やっていたバンドの演奏を聴きに行くうちに、バンド演奏に対する興味が次第に高まっていったのでした。

 

バンド発足

その後、高森は就職し、松田は就職留年することになります。

おそらくその間、お互い暇な時間にやることを探していたのでしょう。

高森の方から、バンドでもやってみようかという話をしてくれました。

そのときは、自分自身が音楽に対しての関わり方を模索していた時期でもあり、渡りに船といった感じでその話に飛びついたのでした。

 

そして2017年11月、Lupeというバンド名をつけ活動を始めることにしました。

最初は、好きなアーティストのカバーをやっていました。

このころの音源も残っていますが、正直ちゃんと聴くと赤面してしまうようなレベルです。

初心者が頑張ってやってみたという感じがモロに出ていて、そういった意味では思い出深いものではありますが、個人的には乗り越えたい過去ではあります。

 

ですが、このころのことを思い返すと、カバーでもなんでも自分たちで音を作っていく、曲を形にしていくということの面白さや達成感を新鮮に味わえていたなと思います。少なくともバンド経験がそれまで皆無だった自分にとっては。

「ドラムが入るとこんなに曲の雰囲気が変わるんだ。」

「楽器どうしの縦のラインが合わないとこんなにダサくなるんだ。」

「エフェクトやミキシングの工夫でこんなに曲の印象変わるんだ。」

などと、いろいろ新鮮な気づきや学びを得ていたことを覚えています。


最初のライブ

そんな感じで何回かカバー曲を形にしているうちに、当然のように出てきたのは「自分たちの曲を作りたい」という欲求、そして「それを誰かに聴いてほしい」という欲求でした。

その両方の欲求を満たせるのはライブに出演してみることだということで、ライブ初心者でも出演歓迎といった触れ込みのライブハウスにこちらから声をかけ、出演することに。

 

Lupeとしての一番最初のライブは、流石に強烈に記憶に残っています。

池袋のカフェ兼ライブスペースのようなところでした。

当日のセットリストは、カバー曲とオリジナル曲半々くらいの構成。

肝心の演奏も、緊張でガチガチの状態で正直うまくいきませんでした。

終わってすぐに、メンバー二人で反省会をしたのを覚えています。

自分たちの未熟さを思い知った、苦い経験でした。

 

ただ個人的には、拙いながらも最後の方ではのびのびと演奏できる瞬間もあり、演奏に没頭することの楽しさの片鱗をつかめたライブだったのかなと思います。今思えば、という話で当時は反省しかなかったですが。

なにより、乏しいコミュニケーション能力を振り絞って、知り合いに声をかけて集客した結果、3,4人ですがライブを聴きに来てくれたのが素直に嬉しかった。

そしてその中の何人かは演奏に感銘を受けた、とくにこの曲が良かったと評価してくれたこと。お世辞かもしれませんが、その言葉がありがたく、次も頑張ろうという気持ちになれたのを覚えています。

 

それからは定期的にライブに出演し、それにむけて新曲を練って練習する、というサイクルができていきました。

 

エマージェンザへのチャレンジ

小さいライブイベントに定期的に出演する中で、腕試しも兼ねてコンペに挑戦してみようという流れになりました。

そうして2018年の11月、エマージェンザというコンペの予選に出ることにしたのでした。

このエマージェンザというコンペを通して得た経験が、Lupeとしても、松田個人的にもひとつの分岐点となる重要なものだったと思います。

 

そもそもエマージェンザという大会がドイツに本部を置く国際的なコンペで、優勝すればドイツのフェスに参加できるという触れ込みのものでした。

正直参加する前も参加を決めてからも、

「なんだか夢だけ大きくて実感が沸かないなあ。」

というイメージで、Lupeの中ではまあコスト低く腕試しができて、認知の獲得にもつながるならやってみようかくらいの温度感でした。

しかも勝ち上がりを決めるのが「会場のオーディエンスがいいと思ってくれた挙手数」ということで、単純な演奏の善し悪しではなく集客が鍵を握ると知って、かなり不得意なところに足を踏み入れてしまったな、という感じでした。

 

ですが参加する以上は勝ちを狙いに行きたい。

これまで以上に集客を頑張りました。

松田が待つ交友関係は(内向的人間が、可能だと判断した範囲内で)すべて洗い出し、来てほしいと頼みました。

今思えばそれでも尻込みして誘えなかった人がたくさんいましたが。

 

これは今でも思っていることなんですが、友人(もしくは知り合いや親戚)だというだけで、よく知りもしないバンドのライブにわざわざ足を運んでくれ、ましてやお金を払って見てくれなどと頼むのはとても申し訳ないんですよね。

もちろんいい演奏をして、全力で来てくれたことへの対価を提供する意志はあるんですが、それでも申し訳ない気持ちのほうが勝つんです。

自分が逆の立場だったら正直断るだろうなあなどと思いながら誘うのは心苦しく、つくづく自分はこういうコミュニケーション向いてないなあと痛感していました。

それでも予選には10人を超える人が来てくれて、本当に感謝したのを覚えています。

 

本番はかなり緊張していて、正直何をやったか、何を感じていたかあまり覚えていません。

ただ、なんとか予選を通過し、半年後の準決勝の舞台に進むことになります。

準決勝の舞台が、過去スピッツなどもステージに立った渋谷eggmanというライブハウスだと知ったときは、シンプルにワクワクしたし、同時に気負いも感じましたね。

 

そして、予選を遥かに超える集客をしなければ勝ち上がれないと知り、軽く絶望したのも覚えています。

それでも、本当に恥を忍んで友人知人、友人の友人、親戚一同にまで誘いをかけて、かなりの数を呼びました。

そんなこんなで、準決勝では今までとは比較にならないくらいのお客さんの中でのライブでした。

順番が大トリだったということもあり、緊張も極限まで上がった状態でした。

 

ただ、そんな中でも演奏は、MC含めすべてを出し切った上出来な方だと思っています。今までで一番いい演奏ができたと自負してもいいような瞬間だったと。事実、演奏しているときとても楽しかったのを覚えています。もちろん細かいところを見ていけば全然ダメダメな部分も多々あったんですが、ライブの恍惚を一番いい形で味わえたのがあの日だったんじゃないでしょうか。

 

ですが、同時に演奏する前から負けがほぼ見えていたような感じでした。

集客度が圧倒的に違うほかのバンドを見て、明らかにバンドとしての認知が足りていないことを痛感したのでした。

なので、当然のごとく負けました。

「当然のことだ、単純にコンペの方式に対してLupeの力不足だったんだ。見えていたことだ。」

と納得させてはいたものの、やはり負けた時は悔しかったです。

 

悔しかった理由のひとつは、ライブ後にLupeのことをほめてくれる人がいたからだったかもしれません。

「残念だったね。でも自分は好きだったよ。」

「応援してます。これからも頑張ってください。」

そんなふうにわざわざ声をかけてくれる人がいて、もう本当に困惑してしまうくらい嬉しかったのと同時に、決勝に行けない自分たちのふがいなさを感じたのでした。

さらには当日のためにジャケットも含めてすべてLupeの自主制作で作ったCDも、ありがたいことに完売し、嬉しさ半分悔しさも募っていったのでした。

 

個人的にはこの体験によって、

「LupeはLupeなりの音楽を貫いていっていいんだ」

と思えたし、純粋にもっと上を目指していこうという気持ちになったのでした。

 

今思えば、あの夜自分が感動したことすべてが、バンドとして継続的に活動していくなら当たり前のことだったのだろうと思います。

集客なんてできて当たり前だし、ライブで100%を出せて当たり前だし、グッズもちゃんと準備してきて売れて当たり前。

そういう世界に足を踏み入れようとしているのだから、その事実を冷静に受け止めて反省点につなげていくべきだったのだろうと。

でも、初体験の新鮮さの魔法で、ただ素直に、音楽活動をこれからも続けていけるという活力を得たのでした。

結果的にそれは良いことだったと思います。


コロナと再発進

そして昨年。

2020年はLupeにとっても大きな転換点となる年でした。

 

メンバーのふたりそれぞれが、それぞれのプライベートにおいて方向転換したこともそのひとつの原因です。

そして、2回めのチャレンジとなるエマージェンザ2020の準決勝がコロナで延期になったこと。

ほかのライブもできなくなったそんな状況の中、Lupeとして今どうすべきかを考えました。

その結果、Lupeとしての活動の仕方を根本から整理し直して、再始動していこうという方針になりました。

Lupeの活動に抱いている思い、最終的にしたいこと、活動において大事にしたいことなどを話し合い、Lupeの活動の軸をしっかり作っていくことが目的でした。

現状から言えば、この動きはかなり難航しており、今に至るまでちゃんとした軸が作れていない状況です。

ですが、Lupeとしての活動の軸がライブにあるということを再認識でき、そのためになにができるかを考えればいいというシンプルな方針が出てきたことは、自分にとっては光明でした。

 

少し話が逸れますが、ライブを楽しんでやれているときの恍惚感って、本当に何にも代えがたいんですよね。

自分は生来のあがり症なので、どんなアットホームなイベントでも本番前は心臓バクバクになるくらい緊張してしまうのですが、それでも本番が始まってしばらくすると、心から楽しめる瞬間というのが来て、それが心地よくて、まさにこのために練習してきた!と思えるんです。

オーディエンスの反応や、ライブハウス特有の音響空間や雰囲気を味わえるのもやっぱりライブの醍醐味で、いつのまにかそういうライブにまつわるもの全体(人間関係とかやりたくない事務的な手続きとかを除く)が好きになっている自分がいることに気づいていたんです。

だけど、それがLupeの総意なのかどうかはわからなくて、もしかしたらライブに固執してしまうのは自分のエゴなのではと思っていたのです。

 

加えて世間はリアルなライブを止めて、オンライン配信へとプラットフォームを切り替えている真っ最中でしたから、そういう逆風もあって、どう進むべきか悩んでいたのですが、やはりリアルなライブでやっていくことにLupeの本質がありそうだと再認識できたのはとても救いでした。

 

また、この時期に平行して、新しい曲づくりの方法を模索したりしていました。

課題曲を決めて魅力を分析してみたり、リズムパターンからセッションして曲を作ってみたり、いろいろ今までとは違った切り口の曲作りを研究していました。

それもすべて、コロナが落ち着いてふたたびライブができるようになるまでの充電期間で、2020年中には何らかの形で外に向けて動き出していきたいという青写真を描いていたのでした。

だから、その青写真に対して半年近くも遅れをとっている現状に対して、本当に不甲斐ない気持ちになります。

 

つくづく、自分たちに足りないのは行動力で、考える前にやってみる、ということができたなら去年の使い方は全く違うものになっただろうと思います。

ただ、それがLupeの性格で、中途半端なところも含めてありのままを出して、現状できることをしていくしかないと思っています。


音楽をライフワークに

その点では、この時期に個人的に考え抜いた結果として、

「音楽を死ぬまでのライフワークにしていくためにできることを考える」

という結論に持っていけたのは良かったと思います。

 

今まで自分は、

「若いうちに全力を出し切って音楽に挑戦してみて、それでだめだったら諦めて他の道に行こう」

という考えでやっていました。

だから結果を出したいと焦っていたし、なかなか結果を出せないことに対して苛立ちを覚えてもいました。

でも、たぶんその考え方自体が自分にとってはナンセンスだということに、この頃ようやく気付いたんです。

 

正直、自分はなにか一つのことに集中してすべてを出し切って、その結果で次の進路を判断するようなやつではなく、いろんなことに足を突っ込みながら、付かず離れず優柔不断に付き合っていくようなやつなんだろうなと。

そういう生き方が心地良いやつなんだろうなと。

そしておそらく、Lupeという活動においても、そういう進み方がいいんだろうなと。

 

もちろん音楽を生活の一つの軸にしたいという気持ちは変わらないのですが、そうやって長期的継続的に付き合っていくという目線で見ると、なんだか今までのモヤモヤや焦りがなくなっていく気がしたんです。

「功名心で焦って音楽自体を嫌いになるより、なかなか芽が出なくても音楽を楽しみながらやっていくほうが絶対にいい」

と思ったのでした。

Lupeの活動全体を通して、焦らず着実に進んでいこう、と。

 

話が個人的なところに逸れすぎました。

Lupeの話に戻します。


Lupeのこれから

そうしてやっとのこと、外向けに動いていくという話になったのが、去年の終わり頃でした。

まずは今できるライブの形を探して、それをLupeのライブのひとつの軸にできれば、という話に落ち着きました。

そのための第一段階として、Lupeの生存報告を兼ねていったんオンラインライブをやってみようという流れに。

そしてその話し合いのなかで、せっかくやるなら今までやったことのないライブの形式にチャレンジしてみようということになり、それが今回開催が決定した、ストーリー形式でのオンラインライブという試みです。

思った以上に準備に時間がかかり、当初想定していた日程より大幅に遅れた日程になってしまいました。

 

2019年3月のエマージェンザ準決勝の夜から、少なくとも外から見える部分においては、Lupeは何ひとつとして変わっていません。

1年近くTwitterもHPもほったらかしでした。

そんなことを思うと、苦い気持ちになります。

Lupeは、本当は過去語りなんかできるような状態じゃないんです。

まだなんにも成し遂げていないし、音楽で生活していくという目標ははるか遠くです。

 

ですが空白の1年間、下に潜っていろんなことを考え、いろんなアウトプットを出してきました。

なので、最後にこれだけは言わせてください。

Lupeはここで終わりではありません。

これからも、Lupeは最高の音楽を出し続けられるよう活動していきます。

その始まりの合図が、次のライブです。