はじめに
バンドをやっていなかったら、いまごろ何をしていただろう?
月並みですが、そんな自問をすることがあります。
そんなとき、「バンドやってなかったらたぶん前の仕事を辞めてはいなかっただろうな」とか、「そもそも全然違う仕事や進路を選んでいただろうな」とか、「曲や歌詞がうまくできないことに悩むなんて日々ではなかっただろうな」とか、そんな「たられば」がけっこう出てきます。
けどそれと同時に、バンド活動をしていない自分の生き方を、もはや考えられなくなっていることにも気づきます。
今、自分はLupeというバンドを通して、音楽を通して、お金をもらって生活していくことを目標にしています。
音楽をライフワークにしていくためには、それがベストだと思うから。
音楽を日々やっていけない人生は味気ないと思うから。
そして、その挑戦の場がLupeであることを後悔はしていません。
自分は中途半端で優柔不断な人間なので、上記のような煮え切らない「たられば」を考えてしまうことはしょっちゅうありますし、そもそも今までの生き方自体が煮えきらなさの塊のようなものでした。
でも、いまLupeをやっていることに後悔はしていないのは本心であると確信しています。
ですが、今回こういう記事を書く機会ができて改めて考えたのは、Lupeを始める4年前までは、こんなに本格的にバンド活動にのめり込むことになるとは思ってもいなかったということでした。
そして、そもそも音楽に対しても昔はそこまで深く関わってはいなかったということでした。
今回は、少し自分の過去の話をさせてもらいます。
義務と惰性でしかなかったピアノレッスン
そもそも自分が音楽に比較的深く関わり始めたのは、5歳のころから通っていたピアノ教室でした。
ピアノに興味を持った理由は、兄が通っていて自分もやりたいと思ったからとかそんな理由だったと思います。5歳のころの記憶なので当てにはなりませんが。
ただ、記憶に染み付いたピアノ教室のイメージは「義務と惰性でやっていた」という感じ。
練習も直前にちょっとだけして、それなりに叱られてそれなりに褒められて、やめたいと思うときもあったけど、
「まあ全体的に見れば前進してるし、なんとか続けるかー」くらいの関わり方。
今思えば、あのときもっとピアノの魅力を主体的に知ろうとしていれば、その後の生き方もだいぶ変わっていたのかもしれません。
とにかく、なんやかんやで高校に入るまでの10年間、教室には通い続けていました。
そしてこれも今思えばですが、このとき曲がりなりにも培ったピアノの技術、練習法が今でも役に立っていることは事実です。
そう考えると、あながち惰性で続けていたことも間違いではなかったのかもしれないとは思いますが、やはりこの10年間は自分のなかで音楽に対して近づきも遠ざかりもしない、空白の10年でした。
高校時代、自意識と弾き語り
音楽の魅力に改めて気づいたのは、高校時代。
当時自分は柔道部に入っていました。
柔道は小学校から続けていて、今でも観るのは好きなんですが、当時は10代特有の「とにかく強くなりたい」みたいな謎の衝動に駆られて、あえて自分を酷使して限界突破を目指す、というような無茶なことをしていました。
でも、自分の性質に合わないことを続けていても無理が来るんですよね。
2回ほど洒落にならない大怪我をし、そのせいもあってか結局3年間、試合で結果を残せないままでした。
柔道そのものは今でも好きなんですけど、そういう経験もあってか高校時代は挫折のイメージが色濃く残ってます。
それから、進学校だったということもあり勉強面での挫折は当然のごとく味わいました。
「自分って凡人なんだなー。」という事実をじわじわと受け止め、ぬるっと何かに敗北していくようなそんな感覚。
けどプライドは簡単には捨てられなくて、なんとか食らいつこうと足掻いていく。
そんな生活の中で、フラストレーションが溜まったときにやっていたのが、ピアノの弾き語りでした。
そのとき自分が好んで聴いていたのは、スキマスイッチやコブクロといった「THE青春ソング」に分類されるもの。理由は、友人や兄が聴いていたから。
そういった曲を、週末にひとりで弾き語りで歌ったりしていました。
スキマスイッチもコブクロも曲作りがすごくうまいし、歌っていていい具合にカタルシスが得られるんですよね。
そのカタルシスを求めて、歌っていました。
でも、それらの曲に特別の愛着があったわけではなく、「感情のはけ口として一番正常で気持ちよさそうなもの」を手持ちの駒の中で探した結果、それに落ち着いた感じでした。
一方でCoccoや鬼束ちひろといった「THE暗い歌」なども聴いて歌ったりして、なんともいえない切ない気持ちになったのも覚えています。これも、聴くようになった理由は兄が好んで聴いていたから。
人間の暗い部分への親和性を確実に意識し始めたのは、これらの曲がきっかけだったのかも知れません。
入り口としてはあまりに暗すぎましたが。
そんなこんなで高校時代は、「すごく爽やかな明るい曲」と「すごくメンヘラで暗い曲」の両極を聴くという分裂気味の音楽遍歴でした。
いずれにせよ、この頃の自分にとって音楽はひとりの手持ち無沙汰な時間を埋めるための道具でしかなく、誰かから知る以外で自分から積極的に新しい音楽を探したり深ぼったりはしていませんでした。
大学時代、文字通り世界が開ける
大学に入ってもしばらくはそういった音楽に対する積極的でも消極的でもない姿勢は変わらず、音楽は「あまり明るくはないが嫌いではない趣味」くらいの位置づけでした。
だから、自分が音楽にほんとうの意味で出会ったと言えるのは、Lupeのもう片方のメンバーである高森に出会ってからなのかもしれません。
大学に入って半年、当時自分は体育会系の部活に入っていたのですが、あまりに過密なスケジュールに嫌気がさし、やめてフラフラしていました。
そんなときに、たまたま語学クラスが同じだった高森に話しかけたことがきっかけで、高森が所属していたギターサークルに入ることになったのでした。
それをきっかけにお互いに縁ができ、ある日高森にセッションに誘われます。
自分がピアノを弾けるという話をしていた流れで、じゃあ一度セッションしてみようよという話になったのだと記憶しています。
そしてそのセッションの経験を通じて、自分から見れば格段に音楽に明るい高森から、様々な曲を知るようになりました。
元来が影響を受けやすい性格なのもありますが、そのころの自分はまさに、新しい世界が開けていく感覚でした。
今まで自分が知っている範囲で十分満足できると思っていた世界のさらに奥に、広大な未知の世界が広がっていたこと。その世界がめちゃくちゃ面白そうだということ。
そんな革新的な体験を一人勝手に楽しんでいました。
ボーカルパートのない楽器だけの「インスト曲」なるものが、ポピュラーミュージックのなかにもあるのを知ったのもこのころでした。
それまでは楽器だけの曲と言ったらクラシックかサントラみたいなものしか知りませんでしたから。
要は、自分がいかに今まで井の中の蛙だったかを思い知ったのでした。
就活の苦悩とバンド活動への淡い夢
ただ、その感動もしばらくは「楽しい趣味のひとつができたな」くらいの位置づけとして処理していました。
それが大きな転換点を迎えたのは、大学も後半にさしかかり就活の時期になったころ。
自分はそのころ、甘っちょろくも「なんとなく大学院までは進むだろう。進路はそこでゆっくり考えよう」という方針を3年生の終わり頃まで抱いており、その考えに胡座をかいて就職活動もほとんどしていませんでした。
でも、自分がいた哲学専攻の同期や先輩たちの、学問に対する狂気とも呼べるほどの熱中力や、アカデミックな世界に骨を埋める覚悟のようなものを見るたびに、「自分はここで生きていけるだろうか」と思っていました。
今思えば、自分はいつも中途半端さ、優柔不断さによって自分の進む道を決められず右往左往してきたなと思います。
自分は大学院に行く器ではない。その思いが確信に変わった4年生になってからやっと、自分は就職活動を初めたのでした。
そしてその就活の中でも持ち前の優柔不断さによって悩みに悩んだ挙げ句、とうとう自分は大学卒業というタイムリミットまでに就職先を見つけられませんでした。
あまりあけっぴろげに言えることではないし正直恥ずべきことなのだけど、バンド活動への道を語るにあたっては欠かせない体験だろうなあと思うのであえて隠さず書きます。
自分は、就職留年したのでした。
今思えば留年ではなくいったん卒業してしまえばよかったんだろうなと思うのですが、当時はいろんな理由で卒業を一年引き伸ばすことにしたのでした。
そうと決まれば開き直ってしまえばいいのに、これまた中途半端にプライドの高い自分は、いろんな人(主に家族)に迷惑をかけて、同期が立派に新卒として働いているにも関わらず、自分が「就職先を見つける」というためだけに過ごす一年に対して割り切れないまま、常に悶々として悩んでいました。
そしてその悶々の中で、「自分の生きる道」を明確にしなければと紛糾していろいろなことをしてみました。
大学2年のころからゆるゆると続けていた教育ボランティアに精を出しました(これは正直やってよかったと思っています)。
なんとか学費の足しにしようと、いろんなバイトをやりました(家庭教師からティッシュ配りからイベント設営まで)。
そして、就活。
教育の仕事、マスメディアの仕事、人材派遣の仕事、NPO法人の仕事、IT関連の仕事……。
自分の進むべき道を決めるためにいろんな仕事を探しました。
それら一つ一つの経験は、別に間違いじゃなかったと思うし価値があったと思います。
でも結局、探せば探すほど、行動すればするほど何が正解か自分のなかでわからなくなっていきました。
そんな経験を繰り返して、自分は着実に疲弊していきました。
たぶん、そんな甘っちょろい悪戦苦闘の真っ最中だったと思います。音楽活動をしていく、という生き方が現実味を増していったのは。
就活がうまくいかず、人間関係がうまくいかず、そもそも自分自身に対して疑問や嫌悪を抱いてしまうとき。
そんなときに聴く音楽が、それはそれは心に染みるのでした。
音楽が救いだったのだと思います、間違いなくあのときは。
大げさな表現じゃないと思います。少なくとも自分にとっては、面接の帰りに聴くamazarashiやtoeやサカナクションやthe pillowsといったアーティストたちの曲が、とてつもなく心に刺さったのでした。
上手く行かない人生、中途半端な自分自身、社会への疑問、それに対して行動もできない自分の弱さ・甘さ・未熟さ……。
そうやって言語化される以前の衝動や感情。そういった色んな雑多なものを、音楽がまるごと包んで、認めてくれたような気がしたのです。
そして、これまた影響されやすい自分は、自分も音楽をちゃんとやってみたいと思ったのでした。
それは、誰かの音楽を聴いたりカバーしたりするのではなく、自分自身の音楽を作ってみたいということ。
音楽に対して、主体的に関わってみたいということ。
そんなとき、高森から声がかかったのでした。バンドをやってみないかと。
ようは、片方は就活時の、片方は新卒1年目の暇な時間を利用してなにかやってみないかというだけのことだったと思います。ですが、その時の自分には、それこそが何よりも今自分がやるべきことのように感じました。
そんなこんなで、2017年、就活の真っ最中にも関わらず自分はバンド活動を始めたのでした。
それから先のLupeの歩みに関してはこちらの記事に委ねるとします。
正直、バンドをやっていくと決めてからは、いろいろなものがスムーズに動いていくような気がしました(実際はまあなかなかの苦戦ぶりでしたが)。
バンドを続けていくという前提でできる仕事を探しました。
ありがたいことに自分を拾ってくれる会社があって、そこで働きながらLupeの活動を続けていくことができました。
そしていま、その会社も辞めて再び生き方を変えようとしています。
Lupeをやっていくなかで
そんなこんなでLupeの活動を続けて、もう4年も経ちました。
始めた当初は、「とりあえず3年はやってみよう、そこで見えてくるものがあれば続けよう」みたいなことをお互いで握っていました。
その3年の期限を、気づいたら1年越してしまっています。
正直、当初思い描いていた「理想の4年後」には到底なっていないと思います。
惰性で続けていたような時期もあったと思うし、自分自身の中途半端さからほかのことに目移りしてしまい、真剣に音楽に向き合えていない時期もあったと思います。本当にふがいないことだらけの4年間でした。
何度方向転換をし、そのたびに周囲の人に迷惑をかけてきたかわかりません。
それは、夢とか理想とか悩みみたいな綺麗な言葉で解消できるようなものじゃないと思います。
この先ずっと、そういうふがいない人間だったことを噛み締めて生きなければならないと思っています。
でも、いつかその過去が失敗ではなかったと言えるような未来になればいいなと思いながらなんとかやってきています。
音楽に関しても、きれいなことだけじゃありません。
音楽をやっているから見えてしまう自分の嫌なところ、周囲への疑念や生き辛さというのもあります。
正直、音楽を聴くだけの人生と割り切っていたらどんなに楽だったかなと思うことが何度もあります。
ただ、確かに言えるのは、音楽をやっている瞬間の楽しさは何にも代えがたいということ。
本当に月並みだけど、自分たちで曲を作っていくそのプロセスの充実感や、それを誰かに評価してもらえることのありがたさは身にしみます。
そして、自分に音楽の新たな楽しみ方を教えてくれた高森という存在。
あんまり書くとそれはそれで嘘みたいになりそうなので多くは語りませんが、正直今自分が音楽の楽しさを噛み締めているのも彼のおかげかなと思います。
彼がいなければ、いま自分を救ってくれている様々な音楽も、Lupeで生み出してきた音楽もなかったのだと思うと、ありがたい気持ちになります。
性格的に違うところは多々あって、自分には理解できない部分もあるけれど、ふたりだからできることをできていると思うし、これからも飽きるまでは続けていきたいと思っています。
これから
正直、これからどうなるかなんてわかりません。
Lupeでやっていきたいことはたくさんあるし、音楽を突き詰めていきたい気持ちは今の所なくならないけど、それでも未来を結論づけることはしたくないし、それができない性格でもあります。
これからも、中途半端にあれこれ迷いながら進んでいくんだろうなと思っています。
ただ、いい音楽を作って誰かに届けたいという気持ちは、当分はなくならないんだろうなとも思っています。
だから、ひとまずはLupeを続けていきます。真剣に。
長々と語ってしまいました。
どれくらいの人に届くのかもわからないし、どんな価値があるのかもわからない文章ですが、いま思っていることを正直に書いたつもりです。
もしこんな文章がきっかけでLupeに興味を持ってもらえたなら、とても嬉しいです。
それでは。