タカモリのこれまで

はじめに


「例えば、3年もやれば、何かしら芽が出るんじゃないかな。」
というようなことをLupeが結成する前の、ある練習で言ったことがあります。


いつの間にか、Lupeが結成して今年で4年目。


当時言った時の正確な言葉も、ニュアンスも今では思い出せません。ただ、松田にバンドを少しでもやって欲しくて言った言葉であることは覚えています。


もう4年。


今、Lupeはどういった立ち位置にいるのでしょうか。
少なくとも4年前に言ったことで想像させたものよりは良くないでしょう。
なんだか申し訳ない気持ちになります。


最近、松田の知り合いがLupeのこれからに対して少し力を貸してくれることになりました。彼が言うに、Lupeの思いが現れた記事を用意することで、これからの集客につながるかもしれないそうです。そういったこともやり始める年なのかもしれません。4年目というのは。


ここでは、僕のこれまでについて述べようと思います。


個人的な価値観として、これから書く文章によってLupeの作る曲の解釈を狭める結果になることは望みません。音楽を聴いた人がその曲を自由に解釈できるのが音楽の良さだと信じている人間なので。ただ、なんだこいつらと思った人の中で、こういった記事を読むことで、少しだけでもLupeに愛着を持ってもらえる人がいたら幸いです。

音楽をやるまで


音楽を始めたのは確か中学3年の夏くらいだったので、それまでの話になります。


小さい頃から、一人でいるのが好きで引っ込み思案なタイプだったと思います。おぼろげな記憶ですが、幼稚園のときはずっとおもちゃのブロックで遊んでいるか、トムとジェリーを見てるか、本を読んでいたような気がします。あまり友達と遊んでいた記憶が無いです。
小学校に上がってもそれは続き、毎日のお昼休みは図書室に行き、目についた本を読んでいました。知らないことを教えてくれる本が好きでした。好奇心がある方だったと思います。例えば、「三国志」が好きでした。人徳があるということで仲間に支えられる劉備に憧れていました。自分はそういった人間では無いことを知ってからは、仲間を智略で助ける諸葛亮が好きでした。
また、なまじ勉強も嫌いでは無かったので、学校の授業も楽しく聞いていました。そうすると、いじめにあいました。無視されたり、物がなくなったり、軽口を叩かれたりで、ドラマで描かれるような大変にひどいものではなかったんですが、幼心にたいへん傷ついたのを覚えています。
周りのクラスメートから見ると、仲間内に入らずいつも一人でいて運動ができず勉強が好きで、多少先生に気に入られているような人間は鬱陶しかったのかもしれませんし、今でも気づけていない自分の悪い部分が出ていたのかも知れません。ただ、そのときは学校にとても行きたくなかったです。そして、その頃から正義ってなんだろうや、友達ってなんだろうってうっすら考え始めたような気がします。それと、周りに合わせて、友達を作らないといけないんだなってこととかも考えてました。
ようやく、幼稚園ころには無かった社会性が芽生えて、小学校を卒業する頃には少しは友達がいたかなという感じでした。


中学校では、小学校のときのことを反省して、より周りに合わせて行かなければなと思っていました。自分を入れてくれるグループを探して、そのグループ内で流行っているゲームを買ったり、漫画を読んだり、アニメかなんかを見たりしてました。ある時、その頃よく話していた人たちにバンドブームが訪れました。中学生らしい憧れに加え、「けいおん!」というアニメが流行っていたのもあるでしょう。「みんなで練習して文化祭で披露したい。」みたいな話がよくされていました。そこで、それぞれどの楽器をやるかといった話になったとき、僕はドラムをやりたいと言いました。みんなの前で歌ったり、ギターを弾いている自分が想像出来ずステージの一番後ろにいるドラムならいいかなといった理由で選びました。
そんな理由で始めたドラムが今でも続いているのが驚きです。

音楽を始めてから


今まで貯めたお年玉でドラムを買いました。楽器屋なんてのは無いような田舎だったので、ネットで情報をいろいろ集めながら、予算と相談しつつ入念に選びました。親には反対されました。いくら田舎といえどもそんな大音量の楽器をどこでやるんだという話ですし、いつまで続けるかわからないものに大金を払うのは信じられないといった感じでした。それでも、実家の使ってない1室を使わせてもらって、渋々ながらも続けさせてもらったことには感謝しか無いです。
ドラムが家に届いたときは凄く嬉しかったのを覚えています。ある日帰ったら、玄関先に大きな段ボールが置いてあって、それが輝いて見えました。大金を払ったからでしょうか、親に反対された後に自分の意見が通ったからでしょうか、文化祭でヒーローになれると思ったからでしょうか、そのどれも全く違うとは言えませんが、今考えると、運動でも勉強でもない学校の枠組みにないことを自分の意志で自分のやりたいようにやれるんだと感じたからかも知れません。
理由は忘れましたが中学校の文化祭では演奏を披露せずに終わりました。ただ、ドラムをやるなかで同じタイミングで楽器を始めた人たちと音を出して遊んでいるうちにどんどんドラムが好きになりました。自分の動きによって音が出る感覚、そしてそれが他の人の出した音と混ざる感覚がとても好きでした。
一方で、小学校に比べ人とより関わるようになった結果、誰かの好きや嫌い、世の中に戦争があることとか、自分の感情とかをよく考えるようになりました。


高校に入ると、軽音楽部に入りました。もっとドラムに集中できると思ったからです。ただ、入ってみて少し絶望しました。楽器の上手さという意味では、ちゃんと練習をしてきた経験者がいましたし、ステージで脚光を浴びるという意味では、クラスの人気者がいました。人気者になるという点では諦めていたので、少しでも上手くなろうと出来るだけ早く学校から帰り両親が帰宅するまで練習していました。休みの日も練習していました。ただ、あまりにも田舎すぎて、14時の電車の後が17時半の電車で、学校終わって帰宅すると18時過ぎでした。両親が帰宅する19時まで練習しか出来なかったので、田舎であることとその電車の間隔を恨んでました。夜も練習したいなと思っていました。
その代わりに音楽に対する知識を一杯詰め込もうと思いました。色んな音楽を聴いて、周りの人たちよりもうんと詳しくなって、それを自分のドラムに還元しようと思いました。結局のところ、それで同じ軽音楽部の人に見直してもらうといったことはありませんでしたが、ドラムも上手くなり、その時に知ったジャズでセッション出来たのはとても励みになりました。それ以外にも、僕が苦しい気持ちになったとき、集めた色々な音楽が救ってくれることもありました。ただドラムを練習しているだけで救われるときもありました。より音楽が好きになっていました。
また、そのとき勉強はそこそこ出来る方で、物理に凄く興味がありました。大それたレベルの知識は無いですがNewtonをよく買って読んでいました。ヒッグス粒子が発見されたニュースを見たときはワクワクしました。僕の高校では文系は必ず生物選択で僕は文系だったんですが、誰かと共有したくてあまり関わりのない物理の先生に話に行ったことを覚えています。ただ、そういったものが好きになる一方で、そもそも、世界とは?自分とは?といった問いが物理より根源的なものではないかと考え始めていました。

Lupe結成まで


大学では、哲学を学ぶことにしました。哲学を学ぶことで、高校時代に悩んでいた世界や自分に対しての答えを出すことが出来るのではないかと考えましたし、中学校、小学校を通じて考えてきたようなこと、正義、友だち、社会といったものや、更には、人生の意味といったものが見つかるのではないかと思っていました。
また、今度こそ真面目に音楽が追求できるサークルにも入ろうと思っていました。そこでバンドサークルをいくつか見学し、音楽の趣味が合い真面目に音楽に向き合えると思ったサークルに入りました。しかし、そこでも馴染めず辞めてしまいました。とても上手い人たちがいましたが、彼らはサークル内の下手な人たちに対して辛辣にあたっていました。そこまでしてやりたくないなと思えました。そのため、サークルとは関係のないところでバンドを組んだりして自分のペースで音楽に向き合えればいいなと考えていました。
バンドサークルに入っている一方で、ギターサークルにも入っていました。そこは高校時代の同級生が誘ってくれたので、違う楽器をやってみるのもいいかなぐらいの気持ちで在籍してました。今でもギターが家にあります。
いつの日か同じクラスだった松田がサークルを探していると言うのでギターサークルを紹介しました。それ以来の仲です。それから随分たったある日、松田がピアノをやっていたことを知り、セッションに誘いました。その時はただセッションをやれる知り合いが増えたらいいなってことだけ考えてました。

4年経ち、大学を卒業しました。人に何かを誇れるような大学生活ではありませんでした。哲学は楽しかったですが、何も答えは得られませんでした。あらゆるものを考える方法や、その力は身につきましたが、悩みは尽きないまま苦しいことも多々ありました。また、働きだして、今までやっていたバンドの活動も全て終わり、生活に張り合いが無くなっていました。松田が就職留年していることを知ったので、セッションに誘いました。何度かやったと思います。そのどこかのセッションで彼の選ぶメロディに凄くセンスを感じました。冗談では前から言っていたと思いますが、その時本気で言いました。
「バンドやってみない?」

Lupeを結成した後


それからLupeとして活動を始めていくのですが、Lupeを結成した後のLupeの話については、松田が書いてくれるのでここでは割愛します(→リンク)。ただ、明日バンドが解散し、その後の人生がダラダラと続いたとしても、死ぬ前に思い出す日々なのは間違い無いです。
あのとき、バンドを組もうと思ったとき、彼のメロディには僕の音楽に対する気持ちのギアを1つあげ、音楽を楽しむことをバンドを組むことに委ねようと思うだけの力がありました。


そして、今でもずっと、彼の作る曲がとても良いと思っているので、僕は本気で音楽に向きあいたいと思えていますし、曲がりなりにも活動を続けてこれたのではないかと感じています。もちろん、それだけではない様々な要素はありますが、同じ哲学専攻だったとか、音楽の趣味の通う部分があるとか、ラーメンの好みが近いとか、偏屈な僕に付き合ってくれるとか。


好きな音楽を続けているのは楽しいですし、もっと極めたい部分もあります、そして彼の作る曲をもっと良くしていきたいと思います。だからこそ、僕の中でのLupeの目標は。Lupeの音楽を続けていくことです。


そして僕は変わらず、色んなことが気になっていて、色んなことに悩んだりします。それを哲学的に考えたり、それを歌詞にしたりすることもあります。Lupeの一部の曲は僕が書いた歌詞です。誰かのために作っていると言った大仰なことは言いたくないですが、僕は僕のために書いていたりもするので、もし僕と同じような気持ちの人がいればそんな人に読んでいただきたいなと。


最後に、これからも続けていく上で、
「例えば、3年もやれば、何かしら芽が出るんじゃないかな。」と言っただけの責任を果たさなければいけないなと感じています。

おわりに


正直、僕は自分のことを直接言うのが好きじゃないので、ここまで読んでいただいた方に申し訳ないのですが、自分の書いた文が駄文に思えて仕方ありません。
それでも書ききったのは、これを読むことで少しだけでもLupeに愛着を持ってもらえる人がいたらと願うばかりのことです。

2021/04 タカモリ